商店街の光と影

地蔵通り商店街は、山手線の駅前だけど夕方6時を過ぎたあたりから一斉に店が閉まっていく。いわば観光地タイプの商店街。平日仕事を終えて帰る頃には、コンビニとときわ食堂その他数店のみになる。人通りもかなり少なく、正直いってあまり感じは良くない。高岩寺の境内はオープンスペースだしね。

でも、いわゆる「閑静な住宅街」とか「郊外ののどかな農村」とかと比べて治安が悪いとは必ずしも言えないだろう。一見安全なように思えても、実際昼間の住宅街や農村ってかなり不気味だと思う。まあ、高級住宅街といわれるようなところには縁がないけどね。地域社会のつながり強かりし時代はともかく、今はもう、すぐ隣でも全く近所づきあいがない状態が普通になっている気がする。

先日数えてみたら、過去に11回引っ越しをしていることが判明した。はっきり言って人づきあいが苦手な私だが、前後左右上下の家くらいは、基本的にご挨拶を欠かさずやった。ところが、巣鴨のこの家、引っ越してきた人が誰もあいさつに来ない。ああもう、つまり、そういうことなのねと。

で、そういう状況(地域で横のつながりがない状況)が基本であるとの考えに立つと、昼間は賑やかで安全(お客様を危ない状況にしないという商店街的自浄作用)、夜は危険だから自己防衛(家の中は安全)という切り分けができるほうが気が楽かもしれない。

ちなみに先程は、すぐそこのコンビニの前に微妙な雰囲気の人(昔からどこにでもいるけど、最近は増えた気がする)が張り付いて動かない状態で、救急車と消防車が待機、近所の人が遠巻きに10人くらい監視していた。という状況を受けて、上のようなことをつらつらと考えてみたり。実家にいた頃を思い出すと、そういう状況で1対1になってしまうと死を覚悟するくらいの恐怖感だ。いつでも逃げられるように自転車に乗っとけみたいな。それと比べてどうか、という話。

だからといってヒッキーになってmixiに生きるみたいなのもなあ。mixi気味悪くないですか。私だけかなあ。

会社でやってる(やらされてる)セキュリティリスク管理と考え方は同じ、と思うとなんかいやな気分になった。リスク転嫁とかリスクファイナンスとか。事故発生しちゃうとそこまでだもんな。メンタルヘルス重要。あ、思わぬところでGTDにつながったら(無理やりだな)ちょっと気分が良くなった気がする。

今日はここまで!